人生の要諦の最近のブログ記事

サクラが咲いたかとおもったら散ってしまった。
短い命であった。

毎年サクラは咲く。しかし、
今年花をひらいたサクラは去年のサクラではない。
そして来年もまた違う花をひらく。

四季は繰り返される。
だが、一度として同じ風景はない。

風景は個々人の感情とともにある。
卒業式の日、あるいは入学式や入社式のときに見たサクラは
そのときの一回きりのものであっただろう。

人生は1日あるいは1分1秒が一回性のものであり
二度と同じ時間が繰り返されることはない。

刹那は繰り返されることがないから
せつない。

そのせつなさを抱えながら
ぼくらは先に進むしかない。

時間を巻き戻すことはできない。
人生にやり直しはない。
あるとすれば、まったく新しい人生をはじめることだ。

自分の人生を生きよう。ていねいに。

今年のサクラを記憶にとどめておくために
いくつかぼくの拙い写真を。


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新入社員の姿に混じって
真新しいスーツに身を包んだ就活の学生をみかけるようになった。
なんとなくぎこちない所作も感じるけれど
真剣なまなざしが、いい。

就活に関しては、ちょっと古いのだが
こんな記事を読んだ。

経済の死角
「この国はきっと滅びる!就活のバカたち 学生もバカなら、面接官も大バカ」

もちろん実際に、そういう状況はあるだろう。
しかし、こんな記事を書いて煽るマスメディアがいちばん愚かだ。

批判だけで、どのような国にすればいいのか、
未来を構想する思想がない。空っぽだ。
だから「マスゴミ」と呼ばれるのだ。

こんな記事に同調したり、憤ったりしていることこそ
バカらしい。ゴミはゴミ箱にぽい、だ。

不安を感じるひとがいる。
そして、不安につけこんで食い物にするひとがいる。
さらに食い物にされて大金をはたいて、表層ばかり繕おうとする。

面接で「1億円もらったらどうしますか?」という問いをする企業が多いようだが
グーグルやマイクロソフトなど外資系の大手企業の面接で使われる
「全国にピアニストは何人いますか?」という
フェルミ推定のような論理的思考力を問う質問の
さるまね
だと考える。


4492555986地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」
細谷 功
東洋経済新報社 2007-12-07

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ところが、思考力を問うのではなく、
ただ夢を語らせるだけの内容になっているところが陳腐だ。
こんな質問をする面接官の低レベルさを
学生たちは失笑して構わない。

もし面接でこんな質問を出されたら
「御社は一流の企業だと考えて志望いたしましたが
そんなくだらない質問をされるとは思いませんでした。
失望いたしました。志望を辞退させていただきます」

といって、その場で席を立つぐらいでいい。

そんな面接をする人事担当者のいる会社は
たかが知れている。だいたい無能な上司がのさばっていて
仕事ができないのに雑談ばっかりしていたりする。

「おい、宝くじ当たっちゃったらどうする?」
みたいに仕事の努力は放棄して、ギャンブルみたいな夢ばかり
追いかけている会社だろう。

どんなに著名企業でも、そんな会社に勤めたら
人生のムダ遣いなので考えたほうがいい。
ブラック企業よりタチが悪いのは、大企業病に蝕まれた会社だ。

とにかく、自分が迷子になっているひとが多すぎる。
その迷子につけこんで、就活本やらセミナーやらで金を稼ごうとしたり
迷って悩んでいるひとに媚びて若者から人気を得ようとするような
ハイエナみたいな輩がわらわらと湧いている。

自分なんて探さなくても、ここにいるでしょ。

ぼくの私見に過ぎないが
述べておこう。

人生、あるいは就活において大切なことは
自分探しではない。他人探しだ。

部活やサークルでリーダーやっていましたとか
海外でいろいろと学びましたとか
そんなことはすべて「過去」の実績であり
クズみたいなものだ。

大切なことは、未来に何をしたいか、どんな人生を生きたいかということであり
そのヒントは自分ではなく他者、そして他人のなかにある。

抽象的でわかりにくいとおもうので
具体例を挙げてみる。

自己研究は最低限、過去の経歴の整理だけしておいて
志望先の「企業研究」および「業界研究」に注力するのである。

当然、社会経験のない学生たちには難しいだろう。

しかし、志望している企業で、
あなたたちは人生の大半(あるいはわずかであっても数日)を
費やさなければならない。

自分にふさわしい職場なのか?ということを
リスクも含めて研究する。

経験がないからこそ「想像力」が求められる。

企業のドメイン(主な事業領域)は何か。
業界全体において志望先企業のポジションはどこにあるのか。
志望先企業は成長性があるのか、安定性があるのか。
女性であれば子供が生まれても働けたり育児後に復帰できる環境にあるのか。
そんなことに想像力を働かせる。

尊敬する稲盛和夫氏は、新規事業や新製品の開発にあたって
寝ても覚めてもそのことを考え続け
完成形が「カラーで」見えるまで考え抜くことが
重要である
と説かれている。

KDDIの事業をはじめるときにも
「うまくいかない」という批判に動じずに
明瞭にイメージを描いたからこそ実現したと述べられている。

就活のために宴会芸みたいなスキルを磨いたり
芸能人みたいに写真加工で美白に注力していないで
自分ではなく、社会そして世界に目を開きなさい
と、ぼくは言いたい。

というのは、ぼく自身が狭い視野しか持っていないこと
無知であることを常日頃、深く自省しているからだ。

就活は
社会を知るためのいい機会だ。
もちろん内定を取ることは大切なことだが
内定がゴールではない。
そこからハードワーカーとしての長い長い生活がはじまる。

だから、社会を知るチャンスとして就活を
「利用」しちゃえばいい。

社会に出ると当然、競合他社を訪問することなんて難しくなる。
ところが、就活の時期なら縦横無尽にさまざまな企業に出入りできる。
それぞれの企業を訪問して感じたこと
面接官がお話いただいたことは
大きな「学び」となるはずだ。

「知性とは、どんなにつまらないものからも
ダイヤモンドをみつけだす能力」

ともいえる。

あなたが訪問先企業をつまらないと感じたら
もしかすると、あなたがつまらない人間だからかもしれない。
自分の感性が劣化しているのか、ほんとうに訪問先企業がつまらないのか
そのことを深く考えるだけでも成長の契機になる。

018_s.jpg大学を卒業したら勉強はおしまい、
というのは大きな間違いで
実はそこから勉強は、はじまる。

社会人として、日本人として、
世界の一端を担うひとりとして。

人生は、学びの連続だ。
無知であり続ける限り成長もある。

就活する諸君にエールを送りたい。

うまくいくといいね。
でも失敗しても、きっとあなたは大丈夫。

(外岡 浩)

ぼくは緑内障を病んでいる。
この眼の疾病は、一度罹患したら治ることがない。
失明というバクダンを抱えつつ
目薬で眼圧を抑えて悪化を避けるしかない。

酷いうつ病に悩まされていた時期もあった。
まったく起きられず、布団のなかで、ぼろぼろ泣いていた日々。
1年が10年ぐらいに長く感じた。そのために職を失った。
人間関係も最悪の状態になった。

うつ病はこころの病と考えられがちだが、
ほんとうに酷くなると身体にも影響を及ぼす。

不安に押しつぶされそうになって、呼吸困難になったこともあった。
いつもなら数分で書ける企画書を何度も起き上がっては倒れ込み
4時間ぐらいかけて1枚しか書けなかった。
3日間(ほんとうに)一睡もできなかったことさえある。


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不安、怒り、憎しみ、嫌悪感。

人間には、こうしたネガティブな感情がある。
「ポジティブ思考でいこう!」などと
脳天気なキャッチフレーズを掲げた本もあるが
そう簡単に前向きになれるか!と憤るひとも多いんじゃないか。

挫折や痛みや病を経験しないひとはその状態を理解できない。
そして誰かにとって10%のツラさであったとしても
そのひとに5%の耐性しかなければ
充分すぎるぐらいにツラい。

仏教をはじめとする多くの宗教や哲学、心理学は
この人生のツラさ、ネガティブな感情にどう向き合うべきかを
はるかな昔から考え続けてきた。
人間にとっては、永遠のテーマかもしれない。

そこでぼくも考えてみた。
結果、「ネガティブな感情は消せない」という結論に至った。

だって人間だもの。
考えたくないとおもっても、
心に浮かんできてしまうものがあるよね。

では、ネガティブな感情をどうすればいいのか。
これは「うまく付き合っていくしかない」とおもう。

うつ病を黒い犬に喩えた動画がある。
そこに、ネガティブな感情との付き合い方のヒントが示されている。


■うつと闘う全ての人へ贈る「4分間の映像」


負の感情は消せない。
消せないのであれば、うまく付き合うしかない。

その付き合い方の要諦は、次の3つだとおもう。

1)自分がいまネガティブであることを「認める」
2)他人ではなく負の感情を抱いている自分を「赦す」
3)感情をカッコでくくって「忘れる」

怒りや憎しみや嫌悪感が生じること自体は仕方ない。
しかし、何がよくないかというと、その感情に「執着」することだ。

ネガティブループを自分のなかでぐるぐる攪拌しているうちに
悪意の毒素はどんどん膨らんでいく。
その醸成された悪意は心を蝕み、やがて精神を病ませる。

では、どうやって執着を断ち切ればいいかというと、
ひとつには、自分の心に隙を与えなければいい。

どんなにつまらないことでもいいから打ち込むこと。
人間は一度にたくさんのことを考えられない。
一心不乱に何かに集中すれば心の隙間は埋められる。

それが明るいこと、楽しいことであれば最高だ。
自分の心をポジティブな光で満たしてあげたなら
少しだけ執着から離れることができるはず。

ネガティブな感情が生まれたとき
恥じたり、無理矢理打ち消そうとするから苦しむ。
「ああ、いま自分はネガティブモードなんだな、仕方ないね」
と、のんびり客観的に自分をみつめていればいい。
自責の念も、ほどほどにしておくこと。

冷たい雨が降る日もあれば、青空が広がる日もある。
天気は変えられない。
変えられないものをどうにかしようとしても
それは無理だ。

夢や目標は、人間を奮い立たせることもあるが
達成できない夢や目標は、現実とのギャップによって
到達できない理想を抱くことによって、かえって不幸になる。
現状を変えなければ、成長しなくちゃ、と気が急いていると
それだけで疲れてしまう。消耗する。

どこへ行くのか目的地を定めずに、
汗をかきながら、ひたすら歩いていたら
「あれっ!こんなに遠くまできてしまった。びっくりしたなあ」
という感じで、結果として成長しているのがいい。
振り回されるだけの夢や目標なんて要らないかもしれない。

きみが歩んだ先に夢や目標ができる。

「自分」や「個性」も要らない。
自分がない、個性がない、と血眼でセミナーに通ったり
自分探しに必死になる必要はまったくない。
弱い人間から金を巻き上げようとする商売はたくさんあり
いいカモになるだけだ。

きみがきみであること。
それが最大の個性であり、唯一のタカラモノだ。

誰に何を言われようが、嘲笑されようが周囲から孤立しようが
自分を信じていればいい。

「自信」とは、自分を信じると書く。
決してカリスマや他人を盲信することではない。

妄想であったとしても、自分を信じている人間は強い。
不信感に囚われているよりずっとしあわせだ。

自分を信じていれば、他人に対する憎しみに固執することもない。
他人から何を言われようともへっちゃらだ。
誰かの言葉尻を捉えたり、揚げ足を取って絡むこともない。
執拗に特定の人間に絡むようなひとは結局、
構ってもらいたいだけだ。

自分に目を向けていれば、他人のことはどーでもいい。
どーでもいいことにイライラしても人生のムダ。
自分の人生を生きよう。


ba6a5407ca25660c24dd7032c010a527_s.jpgしかし、そうはいっても
聖人君主や仙人ではないので
そう簡単に悟れないし、すぱっとさわやかに
悩みから解放されて
生きることなんて、できないだろう。

そのどこが悪いだろう。OKでしょ。

完璧に生きられる人間なんてどこにもいないよ。
失敗したり挫折したり、
それでもときにはよろこびがあったりして
でこぼこした人生が
面白味があっていいじゃないか。

とはいえ、
ちょっとだけ生活を居心地よくしたいな、と
考えること。
それが大切なのだろう。

そのささやかな気持ちさえあれば
きっときみは大丈夫。

(外岡 浩)

sara_to_gaito.jpgうまく生きていくためには「行動力」が必要だ。
行動あるのみ。

というのは、どれだけ頭のなかで
素敵なことを考えていても、
その素敵なアイデアは単なる妄想にすぎないからだ。

「いつかギターを弾いてみたい」というひとは、
楽器店に足を運んでギターを購入するなど
行動をしなければ一生ギターを弾かない。

「いつか小説家になりたい」というひとは、
いまPCに向かって文章を書いていなければ一生小説家にはなれない。

大きなステップを踏み出す必要はない。
ほんのちいさなステップを積み重ねることで、
遠い場所にも到達できる。

とはいえ、「動けないとき」はある。
人生は順風満帆ではなく逆風に吹きまくられて
先に進めないときがある。
あるいは、躓いて引きこもってしまったり、うつ病になることもあるだろう。

そんなときには、動けない自分を許容してしまおう。
ムリに動く必要はない。
そして次のような5つの要諦を考えてみるといい。


1.いまは深く考える

動けなくても、思考を動かすことはできる。
いろんなことを考えてみよう。
過去を振り返って、自分を再確認したり再発見してもいい。
宇宙の起源はどうだったのかなど、壮大な哲学を展開してもいい。
ただ、悩んではいけない。
「悩む」ことと「考える」ことは根本的に違う。


2.削ぎ落とす

やらなくてもいいことはやらない。
そのイベントのために外出することは必要だろうか。
どうでもいい飲み会に参加して出費することに意味があるだろうか。
本なんか読まなくても、ぼんやり空を眺めていればいいんじゃないか。
シンプルに生きてみよう。


3.自分の禁じ手を作る

動けないといっても、最低やっておかなきゃならないことはある。
例えば食べること、水分を補給すること。
そして充分に眠ること。
動けないけど、食事をとらないことは禁じるなど、自分なりの行動規範を作る。
最低限のことだけやれば、あとは動かなくていい。


4.準備をする

次の行動のための充電期間だと考えよう。
たっぷり睡眠をとって、のんびりと時間を過ごそう。
動けないのなら、動かないと割り切ってしまうことだ。
しかし、準備のための充電期間だから動かないと考えるのはおかしい。
「のための」という思考を言い訳にしてはいけない。
とりあえず、いまは階段の踊り場にいるんだ、と考えればいい。


5.眠る

どれだけ眠っちゃいけないというルールなんてない。
冬眠のクマは冬の間、ずっと眠っている。
タンポポは夏眠して他の植物が花を咲かせる時期を外して花を咲かせる。
つまり、他人とは別の自分だけの時間感覚で生きればいい。
1日20時間眠ってもいい。少なくともぼくは咎めない。
凄いとおもう。20時間も眠っちゃうことができるあなたは。


+++++


fccc47bd0e3375c0e04eb727a6b87f22_s.jpg動けない自分を責めなくていいんじゃないかな。
いまはそういう時期にある、というだけのことだ。
振り返ってみると活発に動いていた時期もあるだろう。
子供の頃には夢中で遊んでいたんじゃないか。

SNSで「素敵な食事をしました!」
「みんなで集まって最高!」という
投稿をみて落ち込んだり嫉妬したりするのであれば
ネットをシャットダウンしてしまえばいい。
他人は他人だ。勝手に生きてください。
他人と比較してあなたの人生を
自分で貶める必要はない。

あなたに必要なことは自分の人生を生きることだ。
動けなければ、動けないことがいまのあなたの人生だ。
それでいいじゃん。
どこが悪い?


動けない時間も大切にしよう。
みんなが行動的である必要はない。
あなたはあなたの時間を生きればいい。

(外岡 浩)

人間には3種類のタイプがあります.pngのサムネール画像


「人間には3種類のタイプがあります。それは・・・」というフレーズがよく使われる。

膨大なビジネス書を読んできたが、しばしば登場する。いわば常套句であり、ステレオタイプな思考でもある。そう言っておけば、とりあえず賢そうにみえる便利な言葉だ。

どこか村上春樹さん的な思考という印象を受ける。『ノルウェイの森』に登場する永沢さんが使いそうだ。実際に使っているかもしれない。

いや、たぶん使っているはずとおもいつつ、どうしてもおもい出せないのでネットで検索してみたところ、別の本だが、新潮文庫の『ペット・サウンズ』のあとがきで、村上春樹さんは次のように語っているそうだ。「世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことない人だ。」と。やっぱり。

問題を3つに絞り込んで箇条書きにする方法は、確かマッキンゼーのコンサルが使っていた手法が一般に広がったと記憶している。確かに、だらだらと問題を列挙するよりも、簡潔に「3つあります」と絞り込んだ方がシンプルで、対策も取りやすくなる。デキるビジネスマンは、基本的にこの手法を使いこなして適切に問題を解決する。上司に対する報告も分かりやすい。

しかしながらビジネスのイシュー(課題)に対してはともかく、人間を「3つ」にカテゴライズするのはどんなものかな、と感じる。

といっても、尊敬する稲盛和夫さんも、「可燃性の人」「不燃性の人」「自然性の人」がいると述べている。ようするに自分からモチベーションを発揮して頑張れる自然性の人と、リーダーから与えられたらやる気が出る可燃性の人と、批判ばかりして動かない不燃性の人がいるということである。


4837923100働き方―「なぜ働くのか」「いかに働くのか」
稲盛和夫
三笠書房 2009-04-02

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ただ、留意しておきたいのは、稲盛和夫さん「3つのタイプがあります」と限定していないことだ。

というのは、可燃性の人間が、ある仕事の契機を経て成長して、みずから心に火を灯すような場合もあり得るだろう。批判ばかりで動かなかった人が自省して、生き方を変えることもある。人間は変わることができる。その寛容性が発想の原点に据えられている解釈している。

勝ち組と負け組、富裕層と貧困層、若者と老人、男性と女性、血液型、肌の色、国籍・・・などなど、人間はカテゴライズ(分類)することが好きだ。しかし、何かのフレームで物事を切り取るということは、切り取られた余分な部分を排除していることでもある。

「人間には3種類のタイプがあります」とカテゴライズしたとき、それぞれのタイプのフレームに当てはまらない属性は排除している。多様性を認めない考え方ともいえる。あるいは、タイプ分けした人間の傲慢さを感じてしまう。おまえは神か?と問いたくなる。そんなに簡単に人間はカテゴライズできるものじゃないだろ。

人間はとても複雑な生き物だ。人生は多様性に満ちている。

それをシンプルにカテゴライズすることは、複雑さを切り捨てている。仕事なら構わない。仕事の場合はシンプルに課題を整理したほうが効率的であり、生産性もあがる。しかし、人間は複雑でいい。多様だからこそ味があるものであり、社会的には弱者であったとしても素晴らしい生きざまの人間もいる。

たとえば、「自分の職業はライターです」と言い切ってしまったとき、ライター以外の仕事はドメイン(主な領域)から外れて、自分の守備範囲ではなくなってしまう。つまり肩書きは自分の守備範囲を明確にするとともに「可能性を殺す」ものでもある。

「なんだか分からないものでありたい」と、自分は常に考えてきた。

趣味で音楽を創っているのだけれど、ジャズなのかポップスなのかエレクトロニカなのかわからないものを創りたかった。そして、「なんだこれは!いったいこれはどういうジャンルだ?!」というアートに出会うと嬉しくなる。

そもそも、iPhone は「Phone」とネーミングされているが電話だろうか。

確かに電話の機能はある。しかし、電話でありながらゲーム機でもあり、デジタルカメラでもある。あるいは辞書にもなるし、地図にもなる。iPhone は、いまや究極の「なんだか分からないもの」だ。しかし、その多様性が多くの利用者を惹き付けてやまない。

多くのビジネスモデルでも同様のことが考えられる。スターバックスがただの「喫茶店」であったなら、これほど店舗を増やすことはできなかっただろう。心地よい空間を提供する、というある意味、抽象的な付加価値の提供に撤したからこそ事業を拡大した。

ushirosugata.jpgあらたなビジネスは、既存の市場をベースにしながら「?」という驚きのある組み合わせやコンセプトから生まれるものだと考えている。イノベーションを行うためには、がちがちにカテゴライズされて硬直した思考では難しい。柔軟な思考が求められる。

だからぼくは「人間には3つのタイプがあります」という言説を拒むことにしている。

カテゴライズによって思考に硬直したフレームを形成し、「偏見」で他人や現象を見切りたくない。「あなたにそういう側面があるなんて考えもしなかったよ、びっくりした!」という意外性を見出して生きていきたい。

なぜなら、意外性に満ちた人生は楽しいからだ。

人生はきれいにカテゴライズされて整理されたものよりも、なんだか分からない、とっちらかった雑然としたものの方がいい。というのは、ぼくの部屋が雑然としているからかもしれないけれど(苦笑)

ちょっとだけ片付けも必要ですね。部屋のなかも人生も。

(外岡 浩)

京セラおよびKDDI(旧・第二電電)の創業者である稲盛和夫氏は数々の著書を出されていますが、多くの著書の内容は重複しています。ほとんど同じことを繰り返し述べているといっていいでしょう。しかしながら、その言葉は決して重複しているから退屈ということはなく、読むたびに深く心に染み渡ります。6月に集中して5冊あまりの著作を読んだのですが、稲盛氏の思想に学ぶところがたくさんありました。

稲盛氏の仕事観と人生論は、ひとつの方程式に集約されます。
それがタイトルに掲げた「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」です。
どういうことなのか、実際に検証しつつ紹介してみますね。

この方程式の前提として「考え方」はマイナス100からプラス100までの値、「熱意」「能力」は1~100までの値とします。

いま、平均的な能力50と平均的な熱意50の池田さん(仮名)がいるとします。

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Aさんが平均的な考え方をすると、50×50×50で人生・仕事の結果は12万5,000となります。

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ところが、高平さん(仮名)は熱意も能力も池田さん(仮名)と同じ平均的な50 の力があるのに、組織に不満があったり、仕事を批判的にとらえたり、とにかくネガティブ思考で、考え方がマイナス50だとします。

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するとどうなるか。マイナス12万5,000の結果になってしまいます。

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稲盛氏の解説によると、なまじ熱意や能力が高かったとしても、考え方がネガティブであれば、熱意や能力があるからこそ正反対の残念な結果になってしまうということです。

よくいるタイプだとおもいました。かつて会社に努めていたときの自分もそうだったかもしれません。能力はともかく、熱意だけはあったと自負しているのですが、ネガティブ思考に転じてしまうと、逆に熱意がマイナスのベクトルに働いてしまうんですよね。

さらに、山本さん(仮名)は能力は25 しかないのですが、自分にスキルがないことをしっかりと自覚しています。そこで卑屈になることはなく、自分に能力がないからこそ普通のひと以上の75の熱意を持ち、素直で前向きな75の考え方を持っていたとします。

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計算すると、Cさんの人生・仕事の結果は14万625になります。つまり平均的なAさんよりもすばらしい結果を残すことができる。

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もちろんこれは普遍的な方程式ではなく、稲盛和夫氏の「哲学」を数式化したものです。平凡な人が最大の結果を出すにはどうすればいいのか、ということを考え抜かれて考案した方程式だそうです。この方程式のポイントは次の3つではないでしょうか。

①能力はなくてもかまわない。

「スキルがないから」とか「才能がないから」という理由で人生や仕事を諦めてしまうひとがいます。けれども能力はなくてもいいのです。熱意もしくは考え方でカバーすればいいのですから。

「熱意」がないと感じたひとは、まずは眼前の仕事や日々の生活に没頭してみることです。たとえば、歯を丹念に磨くでもいい。あるいは、挨拶だけは大きな声でしっかりするでもいいのです。そういう「人間の基本」を愚直かつ誠実に遂行することによって、人生が好転することがあります。

②熱意は大切。

稲盛和夫氏は、人間には3種類のタイプがいるといいます。第一に「可燃性」、第二に「不燃性」、第三に「自然性」のタイプです。

「可燃性」というのは誰かから指示を受けたら熱意やモチベーションを高められるひと。「不燃性」は、何か指示されても熱意を燃やすどころか消してしまうような冷めたひとです。クールといえば聞こえがいいかもしれませんが、「そんなの無駄だよ」とか「それって前もやったことがあったけどダメだったよね」などと発言して組織全体の士気を低下させるようなひとでしょう。

「自然性」のひとは誰から何も言われなくても、自発的にモチベーションを高められるひとです。自律的といってもいいかもしれません。自分で課題を発見し、目標を定め、困難に立ち向かっていける人物のことをいいます。

稲盛氏は、自然性のひとであれ、ということを述べています。「モチベーションが上がらない」と愚痴るひとがいますが、正確には「モチベーションを上げられない」というべきであり、みずからを燃やすことができないのは自分に原因があります。ひとから指図されて燃えるのは「可燃性」の人であり、もし自分の人生や仕事で結果を出したいとおもうのであれば、自ら燃える「自然性」の人であることが必要です。

③考え方が人生と仕事を大きく左右する。

考え方の値はプラスからマイナスまでありますが、方程式が掛け算である以上、この値が大きく結果を左右します。稲盛氏が強調されているのは「正しい」考え方です。この正しさとは、世代が変わったとしても正しいと認識されることであり、「天」つまり神様が認める正しさです。決して私欲から生じた正しさではあってならないとします。

「考え方」は「哲学」といってもいいかもしれません。通常、哲学というと、どこか日常生活からかけ離れた役立たないものという認識がありますが、稲盛氏の哲学は実践的なものであり、単なる概念の戯れではありません。このような実践的な哲学を持つことは大事です。

企業において哲学とは「経営理念」といえるでしょう。ジェームズ・C・コリンズ/ジェリー・I・ボラスによる『ビジョナリーカンパニー』では、持続的に価値を生み出す企業の条件として「基本理念」の重要性を説いていますが、しっかりとした哲学を軸に据えた企業は事業がブレないものであり、企業ブランドとしての信頼性も高いといえます

・・・

稲盛氏の方程式から3つのポイントを確認しました。もうひとつ大事なことは、「人生」と「仕事」がリンクしているということ。「仕事」を通じて人間性を高めて、結果として人生を豊かにしていくことが稲盛氏の思想の根源にあります。

「仕事なんて稼ぐための手段だよ」とか「ブラック企業ばかりの時代に社畜になってあくせく働くのは馬鹿じゃね?」という考え方もあるかもしれませんが、要はそういうマイナスの考え方をしていれば自分の人生をマイナスに導いて、勝手に自滅するだけです。

自滅しても構わないのであればマイナス思考に拘泥していればいい。
しかし、自分の人生を誠実に生きようとするのであれば、稲盛和夫氏の方程式から学ぶことはたくさんあります。

■参考図書

4763195433生き方―人間として一番大切なこと
稲盛 和夫
サンマーク出版 2004-07

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4837923100働き方―「なぜ働くのか」「いかに働くのか」
稲盛和夫
三笠書房 2009-04-02

by G-Tools

B00799SNAO心を高める、経営を伸ばす (PHP文庫)
稲盛和夫
PHP研究所 1996-05-31

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4822740315ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則
ジム・コリンズ ジェリー・I. ポラス 山岡 洋一
日経BP社 1995-09-29

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(外岡 浩)

昨日、中島義道さんの『差別感情の哲学』を読了しました。


4062154919差別感情の哲学
中島 義道
講談社 2009-05-15

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中島義道さんはイマヌエル・カントの研究に基づいた独自の思想を展開している哲学者です。その思想には毒もあるのですが、「人間はどうせ死んでしまう」という問いを追究しつつ自分の人生の破滅ぶりを赤裸々に語る誠実さに、多くの愛読者が存在します。好きな著者のひとりであり、関心が高じたあまりに彼が師事している大森荘蔵さんの哲学書まで読み漁ったことがありました。

『差別感情の哲学』では、「自分の信念に対する誠実性を保ちながら、他人の幸福を求めることができるだろうか」というカント的な命題を追究しています。

一般的に「差別は撲滅しよう」と声を荒げるひとも存在しますが、差別感情は人間の持つ自然な感情です。撲滅すべきものではなく、また撲滅できるものではないし、撲滅すること自体が不健全といえます。しかし、この無意識に生じる差別感情を意識化して常に省みることが重要だという考え方に共感しました。 

たとえば日常的に、あるいはソーシャルメディアなどで子供の話をすることがあります。

息子がこんな作文を書いちゃったんだよね、とブログを書く。けれどもその文章は、子供に恵まれない家庭にとって「差別」になるわけです。例えば交通事故で子供を亡くして悲痛に暮れている親が読んだとすれば、心の痛みにさらに追い打ちの棘を刺すような文章として読まれてしまいます。

ただ日常の楽しさを書き綴っただけなのに、その無邪気な言葉によって誰かを傷付けることがあります。本人が意識していなかったとしても、何かを選択するときには別の何かを排除しているわけであり、言葉が形にないものを形にする行為である以上、何かを喋ったとき、書いたときに必ず差別が生まれます。

『差別感情の哲学』では、肯定的な感情である「自尊心」や「向上心」さえも差別になるという考察が新鮮でした。たとえば頑張れる人の発言は、頑張れない人にとっては差別になります。健康であることを語ることは健康ではない人を差別しています。何気ない誇りや向上心の中にも差別感情は潜んでいるのです。

そんな風に考えていくと何も語れなくなってしまうのですが、大切なのは差別的な言葉を語らないことではなく、あらゆる言葉や感情が差別になり得るという可能性を認識することです。いま自分の語った言葉はもしかすると差別を生んでいるかもしれない、誰かを傷付けているかもしれないという自省と点検を欠かさずに生きていくことが大切です。

障害者とすれ違うときに、自分のなかに生じる「ああ、なんか気まずいな」という感情を子細に点検すること。その気持ちを無難にやり過ごしたり、意識から抹消したりせずに、その気まずさを気まずさとして背負いながら生きていくことが「誠実」なのです。誠実に生きることは面倒ですね。

しかしながら、言葉をつむぐ仕事をしている上で、あるいはコミュニケーションのサービスを展開する上で、このような哲学を理解することは非常に重要であると感じました。

いま、少しずつ読み進めている本にエステー株式会社の鹿毛康司さんの書いた『愛されるアイデアのつくり方』があります。


4872905660愛されるアイデアのつくり方
鹿毛康司
WAVE出版 2012-05-08

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著者は、エステー株式会社で「消臭力」などのユニークなCMを生み出したクリエイティブディレクターですが、「CMとは暴力的なコミュニケーションである」と認識されています。

かつて鹿毛さんは、『ムシューダ~テニス篇』というCMを作ったことがありました。それは女子シングルスの決勝戦でプレイヤーが口でラケットをくわえながらプレーしていて、なぜかというと背中の虫食い穴を隠したいためだった、という映像でした。

けれども、このCMを観た身体障害者の方からクレームを受けます。この世の中には道具をくわえなければ生活できない方がいる、そういう人たちのなかには20歳ぐらいで亡くなってしまう方もいる、その気持ちがわかりますか、悲しい気持ちになりました、という切実な声でした。鹿毛さんは放送を中止しました。

そんな辛い経験があったので、東日本大震災のときには、何か倒れるシーンはないか、津波を連想させるシーンはないか、被災された方々を傷付けるような表現はないかと何度もチェックされたそうです。

こうした自省と点検の行為に深い感銘を受けました。面白い映像を作ればいいというわけではなく、広告が暴力的であるという認識を前提にして、視聴者に起こりうる感情の可能性を考えている。企画の仕事をしていると得てしてアイデアに走りがちになり、面白いからいいじゃん、という安易なノリで仕事を進めてしまうことがありますが、芸術家であればともかく、ビジネスの表現者である以上、このような繊細な自省と点検は必要であると考えます。

とはいえ、傷付けることを恐れて黙ってしまうのではなく、自省しつつ表現することが大事ですね。

コミュニケーションは「相手を変え、そして自分も変える行為」だと考えています。わかり合うとか共感を得るというような生ぬるいものはコミュニケーションではない。コミュニケーションはお互いの存在や価値観を揺るがすような激しいものであり、だからこそ創造的な活動なのです。

(外岡 浩)

「チャンスの女神には後ろ髪がない」と言われます。こんな感じでしょうか。i Pad mini の「Paper」というアプリで描いてみました。


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なんだかアヴァンギャルドな女神さまですね。パンクとか前衛美術とかやってそう。

「チャンスの女神様は珍しい、希少価値だから気を付けなさい」ということではなく、「チャンスはあっという間に過ぎ去ってしまうので、前髪を掴むようなことはできても後ろ髪は掴めない、だからしっかりと好機を逃さないようにしなさい」という意味です。

ネットで調べてみると、この言葉の元となったモデルはギリシア神話にあり、女神ではなく少年の神様のようでした。彼の名前は、カイロス( Καιρός, Wikipedia:カイロス)。前髪が長く、後ろ髪は短い美少年です。そして「瞬足」は履いていませんが、両足には翼が生えているそうです。だからきっと飛ぶように速く走ることができるのでしょう。この神話のことをレオナルド・ダ・ヴィンチがローマ神話の女神と勘違いして使ったため、女神として広がってしまったとする説もあります。

カイロスはギリシア語で「機会(チャンス)」を表すようです。ギリシア語には時を表す言葉がふたつあり、一瞬の時間は「カイロス」であり、過去から未来に流れ続ける永遠の時間は「クロノス」とのこと。

「一期一会」という言葉もあります。「いま」という時間は一生に一度きりのものであり、二度と訪れることはありません。だからこそ出会ったひとたちと過ごす時間を大切にして、一生に一度の機会を大切にしましょうということです。こちらは茶道の言葉で、千利休の弟子である山上宗二が「茶湯者覚悟十躰」に書き記しています。

ビジネスの分野では、First-Mover Advantage ということも言われます。要するに「先手必勝」であり、市場を真っ先に切り拓いた企業が先行者利益を得るということです。

例えば、日清食品の「カップヌードル」はカップ麺という新しい市場を切り拓いたことで不動の地位を得ました。新領域を切り拓いた企業のメリットとしては、話題性があるためにメディアなどで取り上げられやすく、広告宣伝費用を抑えられます。また、一度築きあげたブランドやシェアを追随する企業が覆すためには多大な労力が必要なため、独占的な地位を築くことができます。先行者にはノウハウが蓄積しやすいというメリットもあります。

もたもたしているとチャンスはあっという間に過ぎ去ってしまいます。いまを大切にして、訪れた好機を着実に掴んでいきたいものです。

(外岡 浩)

BOOKS

以下のムックおよび書籍で原稿を書かせていただきました。

4800249368天皇家の食卓と日用品 (TJMOOK ふくろうBOOKS)
宝島社 2015-12-04

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4800246660月とこよみの本
林 完次
宝島社 2015-09-18

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詩の電子書籍です。

B00CPQ6MM2天秤座の彼女 (ポエムピース電詩文庫)
マツザキヨシユキ 外岡浩
株式会社ソーセキ・トゥエンティワン 2013-05-08

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B00CXACOIG小峰に纏わりつくネコ (ポエムピース電詩文庫)
マツザキヨシユキ 外岡浩
株式会社ソーセキ・トゥエンティワン 2013-05-20

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DTMアーカイブス



自作曲弾き語り

ネバー・エンディング・ストーリー(THE NEVER ENDING STORY Cover)